学校とは〜

私は、スクールカウンセラーとして週1回働いている。


スクールカウンセラーという仕事は、実は私には最も適していない仕事であるのを承知でこの世界に飛び込んでみた。スクールつまり学校という組織が適していないという意味である。


それは、クリニックや刑務所でカウンセリングをしていると、幼少期からSOSを出しているのに、まずは親、学校,近隣の大人、、、とことごとく誰もその子のSOSを気に留めずに、或いは誰にも理解されないまま大人になって症状が悪化している人を多く見るからである。


学校にはスクーカウンセラーが居るはずだ。心の専門家であれば子供の味方であるはず、どんな関わり方をしているのだろう? 今の学校はどんな様子なのだろうと興味を持った。人から聞くより、自らの経験が何よりも一番、あえて苦手な管理、組織の世界に飛び込んでみた。


というわけで、私のポリシーは、いつクビになっても良いという事。(その可能性は充分秘めているからである) 組織でどう動くかは、私も経験済みなので承知ではあるが、一般的に日本の学校教育の現場は型にはめる教育かと懸念していたからである。


チーム学校! 校長を先頭に教師、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、さわやか相談員(埼玉県のみ)、養護の先生など一団となって子供をサポートしていこう!というのが学校では合言葉である。素晴らしいスローガンなのだが、様々な職種の人々をまとめるリーダーシップがうまく取れていないと、この連携のためのエネルギーに浪費される。大抵は校長の采配によるようだが、学校によって異なる。


私は、スクーカウンセラーの経験を通じて、先生方の底力、踏ん張りに何度も感銘を受けた。


昔と違って、今の先生方は子供に教授するという一番大事な仕事に専念できにくい立場にいる。教育委員会からの様々な事務作業や、生徒一人一人との連絡帳のやり取り、父兄への細かい連絡、学年での会議、職員会議、部活の顧問、、、数え切れないほどの仕事を抱えている。この状態で、どうやって子供に興味を持たせるような面白い授業を計画する時間が持てるのだろうと疑問に思うほどである。

でも先生方は頑張り抜いている。


さらに、不登校の生徒への連絡や訪問、自傷行為を見つけたら面談、心のアンケートで「生きていても仕方がない」「いじめにあっている」に丸がついていたら、面談と対処。真面目な方が多いから、自分のクラスの生徒の問題は全部自分で抱えて問題解決をしようと努力される。


これでは、先生方自身がいっぱいいっぱいで疲弊してしまう。生徒といい関係性を持とうという思いがうまくいかなくなるのも無理はない状況である。


だいぶ前から、教師にうつが多いと言われているが、現場を見れば一目瞭然である。


スクールカウンセラーを開始して、驚いた事は、出勤日が週1回のみという事だった。それで何ができますの?というのが私の思いだった。さわやか相談員が毎日勤務しているので、カウンセラーは週1回?何というパッチワーク的な発想の考え方。おまけにスクールソーシャルワーカーが月2回勤務、これでチーム学校と考えただけで頭が痛くなる。


次に、さいたま市ではさわやか相談室が、カウンセラーの滞在場所だが、この場所が公にしかも利用されやすいような案内がされていない事、そのために相談室に来る生徒は、人目をはばかってみたいな感じである。ああ日本的だなあ〜


出退勤がタイムカードやコンピュータの入出力ではなく、いまだにハンコウで手書きで記入、、、ゾッとした。昭和のはじめの世界、、、


中学校には、GSと言って、英語の授業にネィティブの外国人教師が入るが、この先生達にも驚かされた。外国の文化を学ぶためにネィティブが学校に入っているのかと思いきや、彼らが日本人化されている。態度が謙虚で遠慮がち、日本人受けを意識しているかのようである、私より日本人らしい。

彼らと休み時間に雑談をするうちに、学校という環境の中で、あえて控えめにしているようである。


せっかくネィティブが持ち込む彼らの文化や空気を取り込めない日本の公立の学校は、問題だなあと思った。これだけ英語を長く勉強して話せない日本の英語教育について疑問を持っている外国人は多い。

ここだけの話、日本の英語教育プログラムに従わなければいけないからしょうがないというGSの外国人教師の声はよく聞く。


ここまでカルチャーショックの連続であるが、郷にいれば郷に従えの精神で、面白がって勤務を始めた。


当初はおとなしく良い子を装っていた私であるが、次第に私がするべき仕事を始めた。


不登校、自傷行為、発達の問題でクラスで行動化など、子供の問題で相談が回ってくる。

子どもと会って話を聴き、この子に何が起きているかを掴む、なぜなら子どもの行動化には必ず理由があるからだ。次に父兄に会う。子どもと親との温度差を見極める。

親御さんに聞く耳がある場合は、親とのカウンセリングが始まる。子どもに起きている行動化は一つの症状である。何故そうなっているかを、家族が理解するまでお付き合いする。


しかし、親に聞く耳がない場合、子供が家で危険な状態の場合、学校でできることは、その子が学校では安全な環境で居られる場所を作ってあげることだ。


この様な手順を、ツーといえばカーと理解してもらえるスタッフの集まりであれば、事は簡単だが、学校という場所で様々な考えを持つ人たちとすり合わせするのに、最初は手こずった。

今は、専門家としてこう見立てているので、こう動きましょうと、かなり分かりやすく、ハッキリと伝えるようにしているので、動きも早いが、時には労力を使う。


という事で、子供や父兄のカウンセリングよりも、チームのコンサルテーションにエネルギーを疲弊する。


私は、自分の考えをハッキリと、相手が上司であっても(学校で言うと校長や教頭)伝えるので、学校の様に上下関係がハッキリしている組織では扱いにくいかもしれない。


よく考えてみると、教師とは上司はいるが、本来自営業の様なものである。


40人の生徒を相手に、自分が作り上げた授業内容でパフオーマンスをするのだから、どういう計画を建てるかで面白くもつまらなくもなる。また、思春期真っ只中の子どもを相手に日夜様々なことが起きて当たり前である。


子供が行動化を起こすケースは、家族の問題が絡んでくる。ここに踏み入ると教師の精神的負担はどっと増える。教師が父兄や子ども達と良い関係性を維持するために、また教師本来の仕事に集中できる様に、スクールカウンセラーは存在すべきであると考える。そしてクラスという枠に居場所を見出せない子供達を、どのように学校で居場所を作るかなど、明確なアドバイスを提供することが大切である。

学校が無理であればいくらでも方法はある。


私個人としては、どんな子でも学校内に存在できる様な、学校側の柔軟性を求めるが、ただ今奮闘中とみている。


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