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虐待とは


虐待と聞くと、まず身体的な暴力を想像されると思いますが、身体的な暴力はとてもわかりやすい、眼に見える虐待です。


殴ったり、蹴ったり、こついたり、大声で怒鳴ったり、、、


怪我をしてあざを見つけたら、すぐに警察や児童相談所に通報とも言われますね。


しかし、中には、それを心得ておいて、怪我や痕が残らないように脅かすことをする親もいます。


そんな時、子供は、誰も信じてくれないと思って口を閉ざします。


言葉の暴力はどうでしょうか。


日常的に、「お前なんか」「そんなこともできないの」「私たちの子じゃない」みたいなことを言われていたら、、、


これも家の外からは見えない暴力です。


「あなたのためよ」と言いながら、子供に執拗に勉強だ、習い事だと強要するのはどうでしょうか。


子供のためと信じて、周囲の皆も当たり前のようにしていることを、うちの子供にもやらせなきゃと信じて、それができないと慌てるのは、子供ではなくて、親の方です。


これも眼に見えない教育的暴力です。


最も悪質なのは、性的な暴力です。


家族内で起こったとしても、家の恥と心得ているので、外にはひた隠しにします。


隠す方も必死ですが、被害を受けた方は、一生涯苦しみます。


相手が他人だったら、憎みきって怒りをぶつけて、刑務所に放り込んでやれば少しは、(ほんの少しですが)気が済みます。


しかし、相手が家族だったら、憎みきれないのです。


被害者であるのに、訴えること自体を家族から反対されて、真実が外に出てしまうと、被害を受けた人のせいのように感じさせられるからです。


しかも憎んでも憎みきれないのです。


この苦しみを想像できますか?


私は、他人から、親から、兄から性的な被害を受けた人たちに出会ってきて、これほどの苦しみと向き合ってきた人たちを目の前にして、無力感を覚えます。


ただただ、その方が自力で立ち上がれるようになるまで、そばで支え続けます。


自分が性被害に遭って、マスコミに公表される方々の勇気はすごいです。


声を上げないと、一生涯、永遠に正されないからです。


これは性被害だけでなく、職場のパワハラ、家庭内のモラハラ、子供に対する教育的ハラスメント、全てに言えるでしょう。


被害を受けた当人は、力を奪われてしまうので、行動に移せないものです。近くにいる誰か1人でもいいから、声を上げられるようにサポートしていただきたいと願います。


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