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誰もわかってくれない辛さ


「発達障害」と聞けば、聞いたことがない人はいないでしょう。


しかし、その内容について本当に理解している人は、一握りかもしれません。


学校では、教師はもちろん、特別支援級があるくらいなので、その先生方は、その道の専門家と考えたいところですが、実際にわかっていらっしゃる方は、どのくらいいるか疑問である。


「発達障害」と一言で言うが、専門的には、日本では、広汎性発達障害・自閉症・アスペルガー症候群に分類される。その他、学習障害(Learning Disorder)・注意欠陥多動性障害(Attention deficit hyper activity disorder : ADHD)が分別されている。


皆さんは、「ああADHDね!」「アスペルガーね!」「グレーゾーン」、時には、「限りなく白に近いグレーです」と言われた人もいる。一体なんのこった?である。


もっと困ったことに、「アスペルガーだから、こうね」「ADHDだからこうね」と、知ったかぶりのレッテルを貼ってしまうのである。それも多くの方がである。


皆さん、こういった特性については、その診断名だけでは言い切れない、つまり個人によって、一人一人全く違うと言うことを覚えておいていただきたい。


日本では、発達障害の特性を見るための補助として知能検査を臨床心理士や、公認心理師が、学校で、教育センターで、児童相談所で、刑務所で、病院などで実施する。


WISCテストは、5歳から16歳11ヶ月までを対象し、それ以上の年齢は、WAISテスト(成人用)になる。さらに2歳6ヶ月から7歳3ヶ月を対象にしたWPPIテストもある。


これだけでは診断はできない。


ご本人の生育歴を親から取る、生活歴、既往歴、スクリーニング検査と言って、まずは簡単なテストをして、その傾向を見る。さらに、先に説明したWISCなどの認知機能検査を行うのである。その人の背景を全て勘案して、ここで初めて診断が出るのだが、これも医師によって異なる場合がある。診断がとても難しいのです。


日本のように、WISCだけとって、その数字を見て判断するような危険なことは、アメリカでは考えられない。適切な診断をするには、相当の見極めが必要であるからだ。

アメリカでは、検査の訓練をした博士課程修了者が取ると聞いている。


私もアメリカの大学院で、テストの勉強をした時は、口酸っぱく言われたことを今でも大切にしている。『テストは、その人を観る補助でしかない』特にWISC,WAISなどをとった時は、フィードバックの際に、本人が分かるように説明し、どのようなサポート方法があるかまで、追記することであった。


私は、目で見て分かるようにイラスト化して、本人に渡して、どこかに貼り付けてもらい、いつでもそれを見て確認できるようにお願いしたものだ。


今、私が出会うクライエントさんで、テストをとったことがあるが、何を言われたか全く覚えていない状態である。親御さんもだ。これでは、テストをとった意味が全くないのである。


よって、テストの目的は診断ではないことを知ってほしい。


テストを取る意味は、自分の特性を知り、それは治すものではなく、どのように他の機能で、方法で補っていくかを見つけだすためである。


発達の特性を持つ方々は、生きづらさを実感しているが、自分は生まれた時から自分であって、なんで皆ができることがうまくできないのか、とても悩むのである。


親にも理解されず、幼少期から褒められることはほぼなく、どんなに頑張っても、注意されたり、怒られたりの連続である。おまけに、悪いことをしているわけではないのに、怒られるから、特に幼少期は、意味がわからない。


例えば、注意集中が困難で、授業中に窓から外を眺めると、鳥が飛んでいる→あれっ、雲の形は面白いな→アイスクリームみたいだ・・・というように、意識が次から次へと移っていくのです。そんなことをしているうちに、クラスの他の生徒は、何やら先生に言われたことを始めている。気がつくと、あれ皆は何しているの?こういうことなのです。先生からは、話を聞いていなかったことを怒られるし、他の生徒からはからかわれる。


本人にとっては、何が何やら、何度もこのような経験を重ねていくうちに、自分はダメだと思うようになりやすい。


よく、興味のあることに対しては素晴らしい集中力だが、興味のないことについては、全くできないことを、皆は嫌でも頑張ってやっているのに、「君には頑張りが足りない」「やる気がない」「怠け者」と誤解されやすい。自分にとって興味をひかないことをすることはないのである。我慢ができないのではなく、そういう意識が働かないようになっている。


共感能力がなく、コミュニケーション能力がないと判断される場合もある。


何回も何回も見直ししても、ミスが起こる。


いつもいつも、彼らは必死に努力しているのです。


私が彼らと出会う時は、もう力尽き果てて、死にたいとか、自傷行為を起こしているとか、生きる意味がわからないと絶望している状態である。


本当に長い長い間、ご苦労様でした。よく死なずに頑張ってきたねと、いつも思うのである。


「あなたはどこも間違っていない」が私の第一声です!


残念だが、あなたを理解できなかった周囲の大人、親、学校の先生たちに問題があったのです。


親は大抵は、幼少期に育てにくさを経験されているので、何となく気づいている部分があります。


しかし、それを無かったことにしてしまうのです。


皆と同じように、出来るように、必死に鍛えるのです。


子供はここから地獄が始まります。


学校も同じです。


もし皆について来れなければ、特性があるからと判断された場合、特別支援級に送られる場合があります。


特性があっても普通クラスにいたい子もいます。


あるいは大勢の中にはいられない子もいます。


あるいは、規則のある学校にいることが苦しみになる子もいます。


皆一人一人違うのです。


その子の特性、家庭環境、日常の生活、性格、その子を取り巻く社会環境、全てを見る必要があります。


よーく考えてみてください。


そもそも、特性がある無しに関わらず、一人一人皆違うのです。


それを一色に染めることはおかしいのです。


どんな子も、混じり合って、その子が出来ないことを馬鹿にするのではなく、助けてあげる気持ち、逆にその子が発揮する能力を、さすが!と言って仲間として自慢する気持ちを子供達には育ててほしいです。子供には、そういう力があるからです。


一人ぼっちで、苦しみ続けなくていいように、まずは親からしっかりと気づいて、専門家に相談に行きましょう。


その子の特性が分かれば、それを治すのではなく、その苦手さをサポートする方法を一緒に考えて身につけていくのです。ゲーム感覚で楽しく見つけていくのです。


大人になる前に、このことに気がついてあげてほしいです。


そして自分の特性を、卑下するのではなく、僕は(私は)、こんな特徴があるよと自ら自信を持って発信できるように育てて欲しいのです。


そもそも障害なんて言葉がつくから、皆さんの心の中の偏見が騒ぎだすのです。


自分の偏見というより、社会の偏見を恐れて、我が子がそうでないように導こうと努力されるのでしょう。


私たちは、皆凸凹があるのです。


ただその凸凹が極端だと、本当に生きづらいということを理解しようとしてください。


自分の中ではできるはずのことが、行動化するとできないことがたくさんあるんです。


これは辛いでしょう?


そういう私も、あるドクターに「君はASDだよね」と言われました。


私は心の中で、クスッと笑いました。あらら分かっていないなあ〜


私は、特性が強い人のような苦しさは抱えていません。


しかし、他人から見ると、私はその要素を持っているような人間に見えるということです。


自分の考えは、はっきりと言う。Noと言える日本人。おかしいことはおかしいと、言葉を濁さない・・・などが私の態度だからです。日本では、空気が読めない人になるのかな?


日本人がいう大人の態度とはかけ離れています。笑


これは、私がこのような教育を受けてきたからです。


そして私の夫は、アメリカ人ですから、彼の文化も影響しているでしょう。


人は、一様に見ては本当のところわからないものなのです。


苦しんではいませんが、私にも特性はあるのですから、方向感覚はまるでダメです・・・



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